サベナ航空548便墜落事故(1961年2月15日発生)
[ベルギーのブリュッセル近郊で発生した航空事故である。この事故で、同機の乗客乗員全員と地上にいた1人が死亡した。同機には、チェコスロバキアのプラハで開催予定だった世界フィギュアスケート選手権に向かう途中のアメリカ合衆国代表チームが搭乗していて、全員が犠牲となった。]
アメリカ合衆国の大統領ジョン・F・ケネディは、ホワイトハウスから事故の犠牲者に対して哀悼の意を表す声明を発表した。ケネディはとりわけ、彼自身の個人的な友人でもあったペア競技の選手ダドリー・リチャーズの死に衝撃を受けていた。
犠牲者の中にアメリカ合衆国の当時最高のコーチ陣や選手たちが大勢含まれていたため、この事故は1950年代から全盛を極めていた同国のフィギュアスケート界に壊滅的な打撃を与えた。1964年のインスブルックオリンピックで当時14歳と363日だったスコット・アレンが男子シングルで銅メダルを獲得したが、フィギュアスケート王国アメリカの復活は1968年グルノーブルオリンピックでのペギー・フレミングの女子シングル金メダル獲得と、ティム・ウッドの男子シングル銀メダル獲得まで待たなければならなかった。この事故は、間接的にカルロ・ファッシやジョン・ニックスのような外国からのコーチ招聘の要因となった。
この事故が発生する2ヶ月前に就任したばかりだった全米フィギュアスケート協会会長フランク・リッター・シュムウェイは、犠牲者たちを記念するために全米フィギュアスケート協会メモリアル基金を設立した。この基金はアメリカ国内の有望な若手フィギュアスケート選手の訓練を助成するためのものである。
【犠牲者】
男子シングル選手
◇グレゴリー・ケリー(16歳)
◇ブラッドリー・ロード(21歳)
◇ダグラス・ラムゼー(16歳)
女子シングル選手
◇ロード・リー・マイケルソン(17歳)
◇ローレンス・オーウェン(16歳)
◇ステファニー・レスターフェルド(17歳)
ペア競技選手
◇イラ・レイ・ハドリー(18歳)&レイ・ハドリー・ジュニア(17歳)
◇ローリー・ヒコックス(16歳)&ウィリアム・ヒコックス(19歳)
◇マリベル・オーウェン(20歳)&ダドリー・リチャーズ(29歳)
アイスダンス選手
◇ドナ・リー・キャリアー(20歳)&ロジャー・キャンベル(18歳)
◇パトリシア・ディニーン(25歳)&ロバート・ディニーン(25歳)
◇ダイアン・シャブルーム(18歳)&ラリー・ピアス(24歳)
コーチ・マネージャー
◇アルバ・ハドリー
◇マリベル・ビンソン
◇エディー・ショルダン
◇ウィリアム・キップ
◇ダニエル・ライアン
◇ウィリアム・シュワレンダー
◇ディーン・マクミン
競技委員と審判員
◇ハロルド・ハートショーン
◇エドワード・ルメール
◇ウォルター・S・パウエル
家族、乗員など
選手、コーチ等の家族6名、他の旅行客29名、乗員11名、地上で事故に巻き込まれた地元住民の男性1名が死亡した。