ヨハンナ・マリナ・フォン・ヘッセン

ヨハンナ・マリナ・エレオノーレ・フォン・ヘッセン・ウント・バイ・ライン(Johanna Marina Eleonore von Hessen und Bei Rhein 1936年9月20日生)
 [ヘッセン大公家ゲオルク・ドナトゥス末娘]



 ダルムシュタットで生まれた。1937年11月16日、叔父ルートヴィヒの結婚式のためロンドンへ向かっていた両親、二人の兄、祖母エレオノーレ大公妃、更には母セシリアが身籠っていた胎児まで飛行機事故で失った。同行していなかったヨハンナだけが生き残った。

 1歳2ヶ月で孤児となったヨハンナは、叔父ルートヴィヒとマーガレット夫妻に引き取られ、実子同様に育てられた。しかしわずか2歳6ヶ月で脳膜炎により急逝した。母方の祖母アリス・オブ・バッテンバーグは、「目を閉じて動かなくなったヨハンナは、同じくらいの年齢の頃のセシルとそっくりな顔だちをしていた。」とのちに回想し、三女の一家全てを失った悲嘆に暮れた。

 ヨハンナは、両親と兄たちの眠る、ダルムシュタットのローゼンローエ墓地に葬られた。叔父ルートヴィヒとマーガレットには、実子は生まれなかった。

 ヘッセン大公家には、悲惨な死を遂げた者がわずか100年ほどの間に続出したことから、「呪いの犠牲となった」とさえ言われた。ヨハンナの大伯母たち、ロシア皇后アレクサンドラ・フョードロヴナとエリザヴェータ・フョードロヴナ大公妃はいずれもロシア革命により1917年に処刑された。父方の曾祖母アリスと大叔母マリーは、2人ともジフテリアで亡くなった。大叔父にあたるフリードリヒ大公子は、開け放たれた窓から20フィート下の地面に誤って落下し、脳内出血により2歳で事故死した。父ゲオルクの姉エリーザベトは、8歳でウィルス性腸チフスで亡くなっているが、ロシア宮廷で毒入り料理を食べたのが原因だと広く噂された。1979年、ヘッセン大公家の血を引くルイス・マウントバッテン卿はIRAの仕掛けた爆弾により爆死している。

 1939年6月14日死去(享年2)