ゲオルギー・マルコフ

ゲオルギ・イヴァノフ・マルコフ(Georgi Ivanov Markov 1929年3月1日生)
 [ブルガリア・作家/ジャーナリスト]



 ブルガリアの首都ソフィア出身。マルコフはブルガリアにいた頃は著名な作家であったが、1969年にトドル・ジフコフ率いる共産政権に反対してイギリスへ亡命。以降、BBCワールドサービス、ラジオ・フリー・ヨーロッパ、ドイチェ・ヴェレでアナウンサーとして働き、ブルガリアの政権を非難していた。マルコフは特に当時の指導者であるトドル・ジフコフ共産党書記長の政治を独裁的だと厳しく批判し、マルコフの放送はブルガリアにおける反体制派の活動を鼓舞するものとみなされていた。

 1978年9月7日にロンドンのウォータールー・ブリッジを渡っていたマルコフは、通りすがりの何者かに傘で突かれた。この際、実際には傘に偽装した空気銃によって右大腿部に弾丸を打ち込まれていた。傷の周りは炎症し、心拍数と血中の白血球の数は増大し、敗血症と診断される症状を起こし、4日後に衰弱死した。

 イギリス当局の調査によれば、マルコフは毒殺されたものと断定された。彼の傷口の組織から直径1.5mmほどの弾丸が発見され、症状から弾丸のなかにヒマの種子から取れるリシンが仕込まれていた。またイギリス当局は前年にパリの地下鉄でブルガリア人亡命者のウラジミール・コストフの体内(彼は厚着をしていたため体内深くまで弾丸が打ち込まれず、奇跡的に助かった)から発見された弾丸と、マルコフに打ち込まれた弾丸が一致したことから、この事件はジフコフがソ連のユーリ・アンドロポフ書記長に依頼しKGBの支援を取り付け、ブルガリア内務省のエージェントが行った犯行だと考えられた。しかしながら実行犯は明らかにはなっていない。

 1978年9月11日死去(享年49)