仲根正広

仲根正広(なかねまさひろ 1954年9月24日生)
 [プロ野球選手]



 東京都出身。日大櫻丘高校時代は193cmの長身から「ジャンボ仲根」の異名で知られ、主力投手として出場した1972年の選抜で優勝に貢献。同年のドラフト1位で近鉄バファローズに入団。岩本尭監督に一軍帯同での英才教育を施されたが、1年目の1973年は25試合に登板(1勝8敗)。4月25日のロッテ戦(川崎)で初登板を果たすと、4月30日の阪急戦(日生)では初先発を任される。5月29日の太平洋戦(日生)で完投して初勝利を挙げたが、5月6日のロッテ戦(日生)では1試合3ボークのパ・リーグ記録を作るなど、散々な1年となった。以後は右肩痛に悩まされ、5年間(1974年~1978年)での一軍登板は僅か5試合となった。1975年9月25日の阪急戦(西宮)での4安打完封勝ちを最後に勝ち星からも見放され、1979年に左打ちを生かして外野手に転向。同年のウエスタン・リーグで打率.291、3本塁打35打点。1980年にもリーグ打率.336、9本塁打37打点でベストテン3位。1981年10月4日には西本幸雄監督の引退試合となった阪急戦(日生)で今井雄太郎から初本塁打を放つ。1983年に14本塁打を記録して外野の一角を奪い取り、1985年4月23日の南海戦(藤井寺球場)ではプロ野球通算5万号本塁打を放った。その後は怪我と若手台頭の煽りを受け、1988年に島田芳明・尾上旭との交換トレードで中日ドラゴンズへ移籍。星野仙一監督からは左の代打の切り札として期待されたが、1年で現役を引退。

 引退後は名古屋市郊外で焼肉レストラン「牛若亭」を経営する傍ら、宅配ピザ経営にも力を入れる。飲食業と並行してラジオ大阪「近鉄バファローズナイター」とNHK衛星放送「メジャーリーグ中継」の解説者も務め、1992年には高倉健主演の映画「ミスター・ベースボール」に出演。日本プロ野球のみならず、大リーグなども熱心に研究・解説するなど評論の実力を認められつつあった矢先の1995年8月15日、肺癌(手術後の咳払いの際、傷口から大量出血があった)のため40歳の若さで亡くなった。

 1995年8月15日死去(享年40)