ジョバンニ・パリージ

ジョバンニ・パリージ(Giovanni Parisi 1967年12月2日生)
 [イタリア・プロボクサー]



 ヴィボ・ヴァレンツィア出身。1985年のジュニア選手権で2回戦で敗退したほか、1987年のヨーロッパ選手権でも1回戦で敗退するなど大きな成果を残すことができなかった。

 1988年ソウルオリンピックフェザー級部門に出場。パリージが出た部門は本命が上がった選手が1回戦で敗れる大波乱があった為、2回戦以降は激戦になるとの予想になった。1回戦は5-0の判定勝ちを収めた。2回戦は優勝候補の選手を相手に2回レフェリーストップ勝ち。3回戦を5-0の判定勝ち。準決勝ではアブデル・アティクを初回レフェリーストップ勝ちを収め、決勝ではダニエル・ドミトレスクと対戦し初回レフェリーのカウントアウトによるKO勝ちを収め激戦のフェザー級を制した。

 オリンピック金メダルを手土産にプロに転向。1989年2月15日、プロデビュー戦を3回KO勝ちで白星でデビューを飾った。1992年9月25日、ディンガン・トベラが返上して空位となったWBO世界ライト級王座決定戦でフランシスコ・ハビエル・アルタミラーノと対戦し10回25秒TKO勝ちを収め王座獲得に成功。1996年3月9日、ミランのパラリドでWBO世界スーパーライト級王者サミー・フエンテスと対戦し8回2分20秒逆転TKO勝ちを収め2階級制覇を達成。その後、5度の防衛に成功。2000年7月29日、WBO世界ウェルター級王者ダニエル・サントスと対戦し4回KO負けを喫し3階級制覇に失敗した。

 2003年2月11日、ミゲル・アンヘル・ペーニャと対戦し8回判定勝ちを収め3年ぶりの復帰戦を白星で飾ったが、2006年10月8日、ミランのパラリドでEBUヨーロッパウェルター級王者フレデリック・クローゼと対戦し12回2-0の判定負けを喫し王座獲得に失敗した試合を最後に現役を引退した。

 2009年3月25日、ヴォゲーラでパリージが乗った車がタンクローリーと衝突する事故が起き病院に搬送されたが死亡した。

 2009年10月23日からイタリア・ミラノにて開催された第15回AIBA世界ボクシング選手権では、交通事故死したジョバンニ・パリージ夫人がイタリア国旗を持って登場し、会場がスタンディングオーベーションに包まれた。

 2009年3月25日死去(享年41)