ジャン=ミシェル・バスキア

ジャン=ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat 1960年12月22日生)
 [アメリカ・画家]



 ニューヨーク市ブルックリン生まれ。プエルトリコ系移民の母親と、ハイチ系移民の父親の間に生まれ、幼い頃から絵を描き、芸術的な活動をするように母親から奨励されていた。8歳のとき、路上でボール遊びをしていたところ、自動車事故に遭ってしまい腕を骨折し、脾臓を摘出したが、幸い一命を取り留めた。

 17歳の頃から地下鉄、スラム街地区の壁などにスプレーペインティングを始める。活動を続けるうちに高校を中退したバスキアは、Tシャツやポストカードを売りながら生計を立てていた。徐々に彼の描いたスプレーペインティングは評価され、キース・へリング、バーバラ・クルーガーの助力でニューヨークで個展を開くようになった。また、絵の中に描かれる王冠は彼のトレードマークとなっている。一時結成していたノイズバンド「GRAY」の名は交通事故のさい母親が病室に持ち込んだ本が由来している。

 1983年にはアンディ・ウォーホールと知り合い、作品を共同制作するようにもなる。1987年のウォーホールの死まで2人の互いに刺激しあう関係は続いたが、バスキアは徐々にヘロインなどの薬物依存症に陥り、妄想癖が見られるようになった。1988年4月には、ドラッグ中毒の治療のためハワイで長期滞在する。このあと友人には「ドラッグをきっぱりやめた」と宣言するほどに上機嫌だったという。

 同年8月、バスキアはニューヨークのグレイト・ジョーンズ・ストリートのロフトで遺体となって発見される。マンハッタンの検死官は死因を「急性混合薬物中毒」と発表したが、幼少期の頃の交通事故から来る病だったともいわれている。

 生涯が映画『バスキア』として1996年にアメリカで映画化され、死後もその生涯と作品は注目を集めた。

 1988年8月12日死去(享年27)