ケビン・オハローラン

ケヴィン・オハローラン(Kevin O'Halloran 1937年3月3日生)
 [オーストラリア・競泳選手]



 1950年代に活動した自由形選手。1956年のメルボルンオリンピックの4×200m自由形リレーにおいて金メダルを受賞した。オハローランは、初の金メダルを受賞した西オーストラリア人となった。出身地のカタニングで水泳を学んだ。その後、パースに移動し、ギルフォード・グラマー・スクールに通った。当時、西オーストラリアで競泳は、あまり行われていない競技であり、プールは濁った川の水を使われていた。1955年後半、オリンピック出場資格を得るためにオーストラリアの東へ移動した。フランク・ガスリーに指導を受け、時間を10パーセント短縮させた。自由形とリレーのオリンピック出場資格を獲得した。

 その後、オハローランは耳の感染症に悩まされ、1958年コモンウェルスゲームズの出場資格を得られなかったため、1958年に引退。引退後は西オーストラリア州コウジョナプにある父親の経営する農場で働いていた。

 1976年7月、農場敷地内の柵の近くで遺体となって発見された。遺体のそばに彼の所有物のライフルが落ちていたことから、柵を登る際に躓いて、誤って自分を撃ってしまったとみられている。

 1976年7月5日死去(享年39)