ミゲル・ロケ・ファレーロ

ミゲル・ロケ・ファレーロ(Miguel Roque Farrero 1988年7月8日生)
 [スペイン・サッカー選手]



 本来のポジションはディフェンダー(センターバック)だが、守備的ミッドフィールダーとしてもプレーできた。カタルーニャ州リェイダ県トレム出身であり、地元のUEリェイダの下部組織に所属していたが、17歳の時にスペイン人のラファエル・ベニテス監督が率いるイングランドのリヴァプールFCと契約した。2006年のFAユースカップ決勝・マンチェスター・シティFC戦ではファーストレグ・セカンドレグともに途中出場した。2006年12月5日、2006~2007シーズンのUEFAチャンピオンズリーググループリーグ・ガラタサライSK戦では、同じスペイン人のシャビ・アロンソとの交代で途中出場してトップチームデビューを果たした。2006~2007シーズン後半戦はフットボールリーグ1(実質3部)のオールダム・アスレティックAFCにレンタル移籍したが、出場機会は稀であった。その後の2年間も困難な状況が続き、2007~2008シーズンは母国のセグンダ・ディビシオン(2部)のヘレスCDにレンタル移籍したもののリーグ戦の出場は1試合に終わった。2008~2009シーズンはセグンダ・ディビシオンB(実質3部)のFCカルタヘナにレンタル移籍し、30試合に出場してセグンダ・ディビシオン昇格に貢献した。

 2009年7月、スペインに戻ってセグンダ・ディビシオン(2部)のレアル・ベティスと契約し、Bチームに加わった。2010~2011シーズンはトップチームの選手となり、12試合に出場(うち10試合は先発出場)して2年ぶりのプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格に貢献した。

 2011年3月5日、背中の問題のために定期的な健診を受けたが、骨盤の悪性腫瘍と診断された。5月には6時間にもおよぶ悪性腫瘍部分の切除手術を受けたが、この病気の手術には保険が適用されなかったため、クラブとサポーターはホワイトリストバンドを販売し、その売上金を手術費用に充てることでミゲルをサポートした。24歳の誕生日を2週間後に控えた2012年6月24日、1年の闘病生活の後にバルセロナの病院で死去した。彼の死はUEFA EURO 2012に出場中のスペイン代表選手にも伝わり、Twitterでは多くの追悼ツイートがなされた。7月2日、ベティスはミゲルが最後につけていた背番号26を永久欠番とすると発表した。

 2012年6月24日死去(享年23)