伊藤博文

伊藤博文(いとうひろぶみ 1841年10月16日生)
 [政治家]



 山口県出身。大日本帝国憲法の起草に関わり、初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣および初代枢密院議長・韓国統監府初代統監・初代貴族院議長・初代兵庫県知事を務めた。アジア最初の立憲体制の生みの親であり、またその立憲体制の上で政治家として活躍した最初の議会政治家として評価され、「明治の元勲」と呼ばれる。

 1909年、統監を辞任、枢密院議長に復帰したが同年10月、ロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフと満州・朝鮮問題について非公式に話し合うため訪れたハルビン駅で、韓国の民族運動家・安重根によって狙撃され、死亡した。

 暗殺に関しては、安重根単独説のほかにも、暗殺時に伊藤の着用していたコートに残る弾痕から発砲位置を算出した結果、併合強硬派による謀殺説もある。

 安重根は暗殺後ただちに捕縛され、1910年2月14日に死刑が宣告された。同年3月26日、伊藤の月命日と絶命した時刻に合わせて、死刑が執行された。

 1909年10月26日死去(享年68)