柳家きん平

柳家きん平(やなぎやきんぺい 本名:西川七郎 1922年生)
 [落語家]



 東京出身。喘息の持病持ちであった。1956年、30歳近い年齢で事業に失敗し35歳で3代目三遊亭金馬に入門、三遊亭金平を名乗る。1962年11月、二つ目に昇進。1964年12月末、師匠3代目金馬の死去にともない5代目柳家小さんの預かり弟子になり、柳家きん平に改名した。

 1966年4月24日、国鉄田端駅のホームから京浜東北線下り電車へ飛び込み自殺、『金曜夜席』放送終了2日後の出来事だった。自殺当日、近所の先輩落語家2代目三遊亭歌奴を訪ね、「ガス栓を捻ろうと思うんですよ」と話していたという。午後2時には新宿末廣亭へ、空きが出た時のために楽屋待機。午後5時に末廣亭を出ていた。喘息や芸の伸び悩みからうつ病を患っていたという。

 1966年4月24日死去(享年44)