ヘルムート・コイニク

ヘルムート・コイニク(Helmut Koinigg 1948年11月3日生)
 [オーストリア・レーシングドライバー]



 ウィーン出身。フォーミュラ・スーパーヴィー、フォーミュラ・フォード、ツーリングカーなどで活躍。ル・マン24時間レースにも参戦経験がある。1974年、ブラバムのマシンを使用するプライベーターチーム・スクデリア・フィノットから、地元である第12戦オーストリアGPにエントリー。しかし、この際は予選落ちに終わっている。第14戦カナダGPからは、ドライバーが移籍しシートの開いていたサーティース・チームから参戦。予選を22位で通過し、10位で完走した。

 デビューから2週間後、コイニクは最終戦アメリカGPの行われるワトキンズ・グレン・サーキットにいた。予選を23位で通過し迎えた10月6日の決勝、コイニクのマシンは10周目のチュート・カーブで、サスペンショントラブルに見舞われた。曲がらないまま三段ガードレールに接触したマシンは、跳ね返ることなく、そのままガードレール最下段を突き破り、更に直進。別箇所のガードレールに激突し、ようやく停止した。コイニクは、マシンがガードレールを通り抜けた際、マシン上部もろとも首を切断され即死。凄惨な事故に至った原因は、ガードレールの構造上の欠陥とされている。

 ワトキンス・グレンでは、1973年にもフランソワ・セベールが体を足から鎖骨まで真っ二つに引き裂かれるという形で事故死しており、2年連続で同じ月日に、同じサーキットで凄惨な事故が起こる結果となった。

 1974年10月6日死去(享年25)