江利チエミ

江利チエミ(えりちえみ 本名:久保智惠美 1937年1月11日生)
 [歌手/女優]



 東京生まれ。美空ひばり・雪村いづみとともに「三人娘」と呼ばれ、一世を風靡。映画の『サザエさん』シリーズもヒット。のちにテレビドラマ、舞台化もされ生涯の当たり役となる。東映作品『ちいさこべ』では京都市民映画祭/最優秀助演女優賞を獲得。

 1959年、ゲスト出演した東映映画での共演が縁で高倉健と結婚、家庭に入るものの、1960年に本格的に復帰。高倉とは義姉(異父姉)による横領事件などがあって1971年にチエミ側から離婚を申し入れることに。チエミは数年かけて数億に及んだ借財と抵当にとられた実家などを取り戻す。

 1963年には日本におけるブロードウェイ・ミュージカル初演の東京宝塚劇場での『マイ・フェア・レディ』に主演しテアトロン賞、毎日演劇賞、ゴールデン・アロー賞などを受賞した。

 その活動の範囲は、歌手・女優に留まらず、NHK『連想ゲーム』の紅組キャプテン、TBS『みんなで歌おう73~75』のメインパーソナリティなど司会業でも活躍し、テレビ朝日『象印クイズヒントでピント』では女性軍キャプテンを務めた。

 1982年2月13日午後、港区高輪の自宅マンション寝室のベッド上で、うつ伏せの状態で吐いて倒れているのをマネージャーに発見されたが、既に呼吸・心音とも反応が無く死亡が確認された。死因は脳卒中と、吐瀉物が気管に詰まっての窒息によるものであった。

 風邪で体調が悪かったところに、ウィスキーの牛乳割りを呷り、更に暖房をつけたまま薬を飲んで寝入ってしまったのが原因といわれる。その前日は、2月11日に行われた熊本の公演から帰宅したばかりで、亡くなった日の当日は北海道でのステージの予定であった。あまりの突然の死に、チエミの親友だった「三人娘」の美空ひばりと雪村いづみ、他清川虹子や中村メイコらもショックを隠しきれずに号泣、チエミの葬儀の席でも深い悲しみに暮れていた。

 偶然ではあるが、チエミが葬儀のため柩によって実家の玄関を出た2月16日は、奇しくも最期まで愛してやまなかった高倉健との結婚で、花嫁衣装を着て実家の玄関を出た日と同じであった。その高倉はチエミの葬儀の日、葬儀会場の前で車を停め手を合わせていたという。それから数週間後の3月3日、仕事関係者らによる音楽葬が行われた。

 またチエミの急死は、本来ならばワイドショー番組などで大きく報じられるものであった。しかしそのほんの数日前、2月8日にホテルニュージャパン火災と、翌2月9日には日本航空機羽田沖墜落事故という、二つの大事故が連日にわたり発生、当時のワイドショーはニュージャパン火災と日航機墜落事故で特別報道態勢を敷き大わらわだったため、各テレビ局はさらに大混乱に陥り、彼女の死は予想以上に小さな扱いになってしまった。これらの大事故の余韻が褪めた後でチエミの追悼番組などが組まれ、マスコミでも大々的に取り上げられることになった。

 1982年2月13日死去(享年45)