エゴン・シーレ

エゴン・シーレ(Egon Schiele 1890年6月12日生)
 [オーストリア・画家]



 ウィーン近郊にあるトゥルン・アン・デア・ドナウに生まれる。ウィーン美術アカデミーに学び、のちグスタフ・クリムトの知遇を得てその影響を受けた。

 1909年、若い同僚たちと「新たなる芸術の集い」をつくった。彼は主として男女の人体の病的な肉感性を、神経過敏な硬質の描線と強烈な色彩のアクセントをつけて描いた。その大胆なエロティシズムは衝撃的で、そのため12年に拘禁されたことがある。

 1918年、第一次世界大戦も終わりに近付いた時にクリムトによる第49回ウィーン分離派展に50点以上の新作を一挙に公開、それまであまり知名度の高くなかったシーレの作品群は一躍注目を集めた。シーレの絵の価格は上昇し、要望を受けて次々と絵の買取依頼が舞い込むようになった。画家としての大きな一歩を踏み出したシーレであったが、妻が大戦前後に流行していたスペインかぜに罹り、シーレの子供を宿したまま、10月28日に死去。シーレも同じ病に倒れ、妻の家族に看護されたが、10月31日に亡くなった。

 1918年10月31日死去(享年28)