山本禮子

山本禮子(やまもとれいこ 1949年生)
 [バレエ講師]



 兵庫県出身。3歳からバレエを習い、小学6年の時「白鳥の湖」に感激しバレリーナを志す。1964年、チャイコフスキー記念東京バレエ団に入団。のち足の骨折などのため19歳で現役を断念し指導者の道へ進んだ。1975年、夫の転勤先の群馬県で山本禮子バレエ団を主宰、ローザンヌ賞受賞者の中村かおりや渡部美咲、渡辺レイなど有望なバレリーナを次々と輩出。指導力の高さが評価され、国内でも著名なバレエ団へと成長していった。また常磐高等学校に働きかけて、バレエ専攻科を設置、講師も務めた。

 1993年、第3回松山バレエ団芸術賞を受賞。更なる活躍が期待されたが、同年6月20日、自宅近くの踏切で事故を起こし、他界した。しかも、警報機が鳴り、遮断機が降りている踏切に進入し、電車に激突されるという信じ難い事故だった。

 事故の発生は20日夜10時20分頃、東武伊勢崎線の細谷駅と木崎駅間の踏切で、警報機、遮断機が作動していたにもかかわらず、山本の運転する乗用車が進入し、6両編成の下り伊勢崎行普通電車と衝突。車は40メートル引きずられ、電柱1本をなぎ倒し大破、山本は頭を強く打って死亡した。運転士によると乗用車が一時停止もせず、遮断機をはねのけて踏切内に進入したという。

 山本は当日の夜10時頃「ちょっと出かける」と家族に言い残して、外出したという。どこに向かったのか、なぜ軌道内に進入したのかは全くの謎で、一見自殺まがいの事故であった。山本は7月1日の東京公演を前にして、非常に張り切っており、そのリハーサルを無事に終了させたばかりで、自ら命を絶つような動機が見当たらず、警察も「自殺の動機がない」として交通事故として処理した。

 1993年6月20日死去(享年44)