近藤武夫

近藤武夫(こんどうたけお 1922年8月22日生)
 [騎手]



 北海道札幌市出身。1939年1月に鳴尾競馬場の青池良佐厩舎に見習騎手として入門。しかし青池が死去したため、伊藤勝吉厩舎に移籍。1942年4月12日に初騎乗・初勝利を挙げた。

 以来、伊藤厩舎の所属騎手として騎乗したが、体格があったために米飯を摂らないなどの食事制限を続けた。それでも体重が重く平地競走にはあまり乗れなかったため、障害競走を中心に騎乗していた。しかしながら平地競走においても1949年の優駿競走(日本ダービー)をタチカゼで、1960年の宝塚記念をホマレーヒロで勝利するなど、数々の重賞や特別競走で勝利した。口数こそ少ないが、温厚で人望も厚かったという。

 1960年12月24日、阪神競馬場の第7競走(障害特別・9頭立て)でチトセチカラに騎乗、第7障害で馬が飛越を拒否したところに後続のミヤギオーが激突して落馬。肋骨骨折による外傷性気胸を発症して入院したが、翌年1月6日に右肺損傷のため39歳で死去した。

 1961年1月6日死去(享年39)