成松和一

成松和一(なりまつわいち 1905年生)
 [俳優]



 東京生まれ。俳優の加藤精一は義兄。義兄の影響で演劇に興味を持ち、新国劇から分派した同志座に参加する。1926年、高松豊次郎が主宰するタカマツ・アズマプロダクションに入社する。記録に残る最初の出演作は、同年1月22日に公開された、山本嘉次郎および横田豊秋(のちの俳優・宇留木浩)共同監督によるサイレント映画『男児一諾』で、満20歳前後の実年齢にもかかわらず富豪の老人役を演じた。同プロダクションは、京都の牧野省三が主宰するマキノ・プロダクションと提携しており、同作は同プロダクションの吾嬬撮影所を使用し、「マキノプロダクション東京撮影所」として製作された。同年7月1日に公開された横田豊秋監督の『銅銭会事変』では、曲淵甲斐守を演じた。

 1928年には、日本映画プロダクション連盟に参加、さらに片岡千恵蔵が主宰する京都の片岡千恵蔵プロダクションに、同社の創立とともに移籍、同年6月15日に公開された稲垣浩監督の『天下太平記』に出演している。同年8月1日に公開された稲垣浩監督の『放浪三昧』では、近藤勇役に抜擢された。1929年秋からの3部作、清瀬英次郎監督の『愛染地獄』では、瀬川路三郎、林誠之助とともに、林田一角・伊牟田周平・樋渡八兵衛の浪人三人組を演じ、重要な助演者として同プロダクションを支えた。1931年1月15日に公開された伊丹万作監督の『御存知源氏小僧』では、かつて『銅銭会事変』で演じた「曲淵甲斐守」役を再度演じている。

 1934年1月31日に公開された伊丹万作監督の『武道大鑑』に出演したのを最後に、満29歳で引退した。その10年後、第二次世界大戦末期の1944年、病気により死去した。没後32年を経た1976年5月1日に公開された『噫活弁大写真』では、かつて出演した作品のフッテージが使用され、ふたたびスクリーンに姿を現した。

 1944年?月?日死去(享年39)