市川好之助

市川好之助(いちかわこうのすけ 本名:諸岡仁助 1885年生)
 [俳優]



 東京出身。1919年、嵐璃徳一座に入り、翌1920年映画製作会社の帝国キネマが創立されると嵐璃徳とともに入社、もっぱら敵役として活躍した。また1923年、後の時代劇スター市川百々之助を帝国キネマへ入社させた。

 1925年『激流の血』の京都・嵐山保津川のロケ中、その百々之助との格闘シーンで心臓麻痺をおこして水死、映画俳優初の殉職者となった。

 1925年5月1日死去(享年39)