ロバート・F・ケネディ

ロバート・フランシス・ケネディ(Robert Francis Kennedy 1925年11月20日生)
 [アメリカ・政治家]



 マサチューセッツ州ブルックライン出身。ハーバード大学政治学卒業。第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディの実弟で、兄の任命により同政権の司法長官を務めた。

 1963年11月22日に兄が暗殺された後、1964年11月にニューヨーク州の上院議員選挙に出馬して勝利したが、1968年に民主党の大統領候補指名選挙のキャンペーン中に暗殺された。

 1968年6月に最大の州であるカリフォルニア州での予備選挙に勝利した直後の5日、ロサンゼルスのアンバサダーホテルでの予備選の祝勝会で演説した後、会場を出るための近道として調理場を通る途中に難民でエルサレム出身のパレスチナ系アメリカ人のサーハン・ベシャラ・サーハンに銃撃を受けて右脳を損傷し、翌6日の早朝に死亡した。銃撃の際、現場に居合わせた聴衆5名が負傷したが、全員が命を取り留めている。

 ケネディの遺体は、告別式が行われた6月8日まで2日間、ニューヨークのセント・パトリック大聖堂に安置され、延べ10万人以上から弔問を受けた。ケネディの遺体はアーリントン国立墓地の兄ジョンが眠るそばに埋葬された。ケネディが暗殺されたことを契機に、シークレットサービスは大統領候補も警護するよう変更された。
 
 この事件も兄の暗殺と同じく謎の部分が多い。サーハンは暗殺動機を「ロバートが親イスラエル的言動を行ったため」と発言したものの、その後「銃撃の瞬間のことは覚えていない」と発言したことから、「サーハンは犯行時に何者かによって催眠術を施されていた」という説もある。また、銃撃直前にサーハンが会話をしていた女性がその後衣服を事件現場周辺に脱ぎ捨てたまま姿を消したほか、ロサンゼルス警察がなぜかサーハンが撃った銃弾のめり込んでいるドアを壊し、また2000枚以上の証拠写真等をなぜか早々に焼却廃棄して捜査を切り上げるなど(その後FBIが捜査を受け継いだ)、捜査状況についても不審とされる点が多い。裁判の結果、サーハンは終身刑となった。

 この時代の政治家の例に漏れずロバートにも敵は多く、妥協を許さない追及を受けたジミー・ホッファなどの敵対する大労働組合幹部、上記のように司法長官時代に対立を深めたマフィア、KKK等の白人至上主義者、ベトナム戦争で利益を上げていた軍産複合体、兄同様リベラルな政治姿勢に反感を持っていたCIAなどの関与が噂されているが、それを実証するものはなく真実は藪の中となっている。

 1968年6月6日死去(享年42)