アラン・ステイシー

アラン・ステイシー(Alan Stacey 1933年8月29日生)
 [イギリス・レーシングドライバー]



 エセックス州出身。1950年代後半、スポーツカーで活躍。1957年にはル・マン24時間レースに参加し、9位でフィニッシュした。1958年イギリスGP、ロータスでF1デビューを果たすさながら、1959年にはエイントリーで行われたスポーツカーレースで勝利を果たす。F1非選手権にも何戦か出場している。また、ステイシーは右足に義足をつけていたことで知られる。ル・マン24時間レースに出場するために、チームメイトと共謀してメディカルチェックをパスしていた。

 1960年第5戦、スパ・フランコルシャンで行われたベルギーGP決勝の25周目、ロータスで6位走行中だったステイシーの顔面に鳥が直撃し死亡。高速でぶつかったため、首が衝撃に耐えられず折れてしまい、おそらく顔は原形を留めないまでに崩れてしまっていたものと思われる。その数周前にはクリス・ブリストウが死亡事故をおこしており、また、前日の予選中にスターリング・モスが両足を骨折する事故を起こしたことから、このグランプリは「暗黒の週末」と呼ばれることとなった。奇しくもステイシーはモスとマシンと同じ仕様のマシンを駆っていた。


 1960年6月19日死去(享年26)