ミハイル・アン

ミハイル・イヴァノヴィチ・アン(Mikhail Ivanovich An 1952年2月19日生)
 [ソ連・サッカー選手]



 ソビエト連邦・ウズベク・ソビエト社会主義共和国タシュケント州出身。アンは高麗人(第二次世界大戦時に北東アジアから連行されてきた朝鮮民族)をその出自に持つ。16歳でポリトデル・タシュケント・オーブラスチと契約、2年プレーした後、当時ソ連サッカーリーグ1部に在籍していたFCパフタコール・タシュケントに移籍した。パフタコール・タシュケント在籍期間中、アンはソ連サッカーリーグ1部において233試合に出場し50ゴールを決めた。また、1974年まで1978年まで5年連続でソ連サッカーリーグベスト11に選出された。

 1978年にアンは高麗人として初めてサッカーソビエト連邦代表に選出され、9月6日のイラン代表との親善試合においてソビエト連邦代表として初出場を果たし、UEFA欧州選手権1980予選ではギリシャ戦に出場した。

 アンはFCパフタコール・タシュケントの一員としてプレーしていたが、1979年のドニプロゼルジーンシク航空機空中衝突事故で亡くなった。

 1979年8月11日死去(享年27)