杏真理子

杏真理子(きょうまりこ 本名:佐藤真理子 1949年1月15日生)
 [歌手]



 青森県出身。アメリカ軍人の父と日本人母とのハーフ。生まれ育った青森県三沢市には米軍基地があり、アメリカ人との混血である真理子は幼少期から中学を卒業する頃まで、世間から厳しい目で見られ、辛い日々を強いられた。 青森県三沢市立理美容高等学校を中退後、故郷を離れ、岩手県盛岡市での生活を経て、1968年に札幌市へ移住。

 1970年秋頃、札幌でマリコの愛称で親しまれているクラブ歌手がいるという話題を聞きつけた北海道在住の作曲家、彩木雅夫が現場に出向き、実際の歌声を聴きスカウトした。当時はショッキングブルーの「ヴィーナス」やドアーズの「ライト・マイ・ファイアー」などをカバーしていたと言う。 その後、小澤音楽事務所に所属、音楽プロデューサー寺本幸司に手掛けられ、1971年に日本コロムビアから阿久悠作詞『さだめのように川は流れる』でプロデビュー。NTV紅白歌のベストテンで選ばれるなど評論家の支持を集めたものの、同時期にデビューした小柳ルミ子のヒットに埋もれ、オリコン最高60位、売上は2.8万枚にとどまった。その後、4枚のシングルとアルバム1枚をリリースするもヒットすることはなかった。1973年9月、歌手活動を休止して、音楽の勉強のため渡米。

 その後、サンフランシスコの日本人町にあるピアノ・バー「とみ子」でウェイトレスをしながらボイストレーニングのスタジオに通ったりして音楽の勉強に励んでいたが、1974年4月8日に行方不明になり、翌4月9日に日本人町に近いアパートで殺害され、トランクに詰め込まれた状態で発見された。


 ※なお殺害された状況について2つの情報があり、どちらが真実かは不明である。


【情報①】

 犯人の男は子供の頃日本の男性と再婚した母親の連子として埼玉県に移住。21歳の時サンフランシスコに渡った。英語が不得手な男は日本人町で旅行代理店のアルバイトなどしていたが、ピアノ・バーで知り合った真理子がビザのことで悩んでいるのを知り「何とかしてあげられる」と自分のアパートに誘い込み性行為を迫ったが拒絶されたため射殺した。翌年、男には5年の実刑判決が下った。


【情報②】

 犯人は元恋人のタネヨシ・ミギタというやの男で、杏から借りた金の催促をされて、カッとなって殺したというものだった。ミギタは過去にも射殺事件を起こしており札つきの悪で有名だった。

 杏真理子の音源は「さだめのように川は流れる」のみが稀にCD-BOX企画などにて収録されるだけであり、その他の作品群は長らく未CD化で埋れたままであったが、2017年2月22日に未発表作品を含む歌唱音源の全てが『杏真理子 コンプリートシングルズ+』として日本コロムビアよりCD化、発売され実に43年振りに世に出ることとなった。


 1974年4月8日死去(享年25)