ビル・チェイス

ビル・チェイス(Bill Chase 本名:ウィリアム・エドワード・キアイーズ 1934年10月20日生)
 [アメリカ・トランペット奏者]



 ビル・チェイスはマサチューセッツ州スクアンタムのイタリア系アメリカ人の家庭に生まれた。彼の父親はジレット・マーチング・バンドでトランペットを演奏し、息子にバイオリンやドラムなどの音楽に興味を持たせるように勧めた。10代半ばにはトランペットに興味を持つようになった。高校卒業後、ニューイングランド音楽院でクラシック・トランペットを学んだが、シリンジャーハウス・オブ・ミュージック(バークリー音楽院)に転向した。1966年から1970年まで彼はラスベガスでフリーランスとして活動し、ヴィック・ダモーネやトミ・ヴィグと仕事をした。

 1971年にはポップス、ロック、ブルース、4人のトランペットをミックスしたジャズ・ロック・バンド「チェイス」を結成した。1971年4月にデビュー・アルバム『追跡(Chase)』をリリース。チェイスには、テッド・ピアースフィールド、アラン・ウェア、ジェリー・ヴァン・ブレアの3人のジャズ・トランペッターが参加しており、ヴォーカルとアレンジに長けていた。このアルバムにはチェイスの最も人気のある曲「黒い炎(Get It On)」が収録されており、シングルとしてリリースされたこの曲は1971年5月から13週間チャートに登場した。バンドはグラミー賞の最優秀新人アーティスト賞にノミネートされたが、新星カーリー・サイモンに阻まれた。

 チェイスは1972年3月にセカンド・アルバム『ギリシャの神々(Ennea)』をリリースしたが、家族との時間を大切にしたいなどの理由でメンバーが次々と離脱。セカンド・アルバム発表後、結成2年を待たずしてバンドは解散した。

 解散後2年を経てリーダーのビル・チェイスは1974年にメンバーを一新して再度グループを結成、3枚目のアルバム『復活(Pure Music)』では、バンドはジャズの方向に向かった。1974年半ばに4枚目のスタジオ・アルバムを制作していたチェイスの仕事は1974年8月9日に終了した。ジャクソン・カウンティ・フェアで予定されていたパフォーマンスに向かう途中、ミネソタ州ジャクソンでチャーターされた双発機パイパー・ツイン・コマンチが墜落した。パイロットと副操縦士、ビル・チェイス及びキーボード奏者のウォリー・ヨーン、ギター奏者のジョン・エマ、ドラマーのウォルター・クラークが死亡し、バンド「チェイス」は消滅した。ビル・チェイスは39歳の若さだった。

 1974年8月9日死去(享年39)