堀阿佐子

堀阿佐子(ほりあさこ 本名:菅文代 1924年生)
 [女優]



 はじめ本名の菅文代を名乗って文学座に籍を置き、『田園』『女の一生』などに起用されるなど重宝に扱われてきたが、肺患のため舞台を離れる。全快後の1948年5月に俳優座に転じ、堀阿佐子の名に改め『みごとな女』で初舞台を踏み、ついで『賢女気質』『田宮のイメージ』にも出演、表情豊かな演技、歌い上げるような艶のある台詞まわしによって注目された。貞助賞(劇作家・伊藤貞助を記念するため創設された賞)を受賞、文学座の入団8ヶ月での受賞は異例であった。

 1949年、俳優座創立5周年を記念した総力公演『フィガロの結婚』に、小沢栄太郎の相手役(シュザンヌ)に抜擢されたが、本番公演目前の同年5月9日朝、東京都世田谷区の自宅で首吊り自殺を遂げた。その日、朝10時の稽古時間に間に合わすべく外出の身仕度を整えていたが、台本を忘れたために2階の自室へ引き返した。一緒に出かけることになっていた母親は、階下で約15分ほど待っていたが、なかなか下りてくる気配がないので、2階へ上がると、そこには母の日の真紅のカーネーションをさした彼女の変わり果てた姿があったという。

 遺書や日記の類もなにも残されておらず、自殺の動機は明らかでない。先輩格の女優に代わって入団1年足らずの堀がヒロインに起用されたこと、堀のシュザンヌ推薦の有力俳優がその仲を取り沙汰されていた小沢栄太郎だったことが、女優陣の必要以上の反発を招いたとも言われている。先輩や同僚を押しのけてヒロインの座に座らせられたプレッシャーなどで、精神的に挫折してしまった可能性もある。

 ちなみに堀の死から5年後、小沢の妻も神経衰弱でガス自殺を遂げている。当時、小沢は同じ俳優座の山岡久乃と浮名を流していた。

 1949年5月9日死去(享年25)