リリアン・タッシュマン

リリアン・タッシュマン(Lilyan Tashman 1896年10月23日生)
 [アメリカ・女優]



 ニューヨーク州ニューヨークブルックリン区出身。金髪、長身痩躯、妖艶な容貌、ハスキーな声のタッシュマンはニューヨークでフリーランスのファッション・美術モデルとして働いていた。 1914年には経験豊かなヴォードビリアンになっており、1916年から1918年にかけてジーグフェルド・フォリーズに出演した。1921年に映画『経験』で銀幕デビュー、皮肉屋の悪女や執念深い仇役としての、脇役の出演で知られた。10数年間に亘り数多くのサイレント映画に出演し、ハスキーで低音の歌声のお陰で、トーキーへの移行を容易く果たす事ができた。スーパースターの地位こそ得られなかったものの、その演技は「鋭く巧みで何10年もの間、殆ど古びていない」と評価された。

 1914年にヴォードビリアンのアル・リーと結婚したが、1921年に離婚。1925年、長年に亘る友人で、有名な俳優エドマンド・ロウと結婚した。2人はハリウッドの記者たちのお気に入りの夫妻となり、芸能誌で「理想的な結婚」と褒めちぎられた。

 1932年、タッシュマンはニューヨークで虫垂炎の手術のために入院したが、虫垂切除は現在では腹部癌手術の隠れ蓑であったと見なされている。彼女は痩せて弱々しくなって退院した。最晩年に常と変わらぬ演技力とプロ根性で5本の映画に出演したが入院後数ヶ月で大幅に衰弱し、健康が益々悪化したため『Riptide』の出番は削られた。

 1934年2月、ニューヨークに飛びオールスタープロダクションの『Frankie and Johnny』の撮影にはいったが、彼女の体調はコネチカット州で夫のロウとの一週間の休息を必要とした。3月に仕事を再開し、3月8日に出演シーンの撮影を完了、3月10日にイスラエル孤児院の慈善興業に出演した。3月16日に手術のために病院に入院した時には、既に手遅れの状態になっており、3月21日に37歳でニューヨークのドクターズ・ホスピタルにおいて癌により死去した。葬儀は3月22日、ニューヨークのユダヤ教会、5番街のエマヌエル寺院で行なわれた。『Frankie and Johnny』は1936年に遺作として公開された

 1934年3月12日死去(享年37)