東喜美江

初代東喜美江(あずまきみえ 本名:股村喜美子 1926年1月6日生)
 [漫才師]



 民謡、三味線の堪能な人物だった。東家茶目子という芸名で、3歳の時にかしまし娘の両親の一座で初舞台を踏む、当時は高座にテーブルを置きその上に座布団で正座し、都々逸や歌や踊りを踊り人気だった。その後、かしまし娘の家庭教師をしていたが、同じ一座に籍を置いていた「青空クリーン・大空ヒット」の都上英二と恋仲となり、夫婦音曲漫才コンビを結成。東喜美江を名乗り「君と一緒に歌の旅~、唄えば楽しユートピア~、昨日も今日も朗らかに~、陽気な歌の二人旅~、ギターを弾こうよ三味弾こよ、弾けば一人で歌が出る~」のテーマ曲で人気を呼んだ。十八番は「歌と笑いで旅姿」。サゲ直前に喜美江が「祇園小唄」を三味線を弾きながら唄い、英二はハーモニカを奏でギターを弾いていた。

 1962年に肝硬変で東大病院で死去。喜美江に先立たれた英二は、「生きていてほしかった。死なれるより男をつくって逃げてくれたほうが、まだしも救われる」と泣きながらに語った。英二は初代喜美江を36歳という若さで失ったあとも、二代目喜美江に再婚相手の東和子を迎え、自身が死去する1979年までコンビは続いた。

 1962年10月14日死去(享年36)