グドルン・エンスリン

グドルン・エンスリン(Gudrun Ensslin 1940年8月15日生)
 [ドイツ・テロリスト]



 ドイツ赤軍の創設者、指導者の一人。4人の死者を出した5つの爆弾テロに関与したことによって1972年6月8日、中心メンバーと共に逮捕された。彼女らがシュトゥットガルトのシュタムハイム刑務所に収監されたことでドイツ赤軍は壊滅したかに思われた。しかし弁護士で赤軍シンパのクラウス・クロワッサンとジークフリート・ハークが組織の後継者となる「第二世代」のメンバーの勧誘と訓練などを行いながら、獄中の「第一世代」と面会しその声明をマスコミや支援者らに伝えていた。そして、刑務所内での自由な活動を事実上許されていたメンバーらは、当局との激しい抗争を繰り広げた。そして、獄外では奪還テロが激化。ドイツの秋と云われる激しいテロ抗争が始まった。

 1977年10月13日、ドイツ赤軍は共闘関係にあったパレスチナ解放人民戦線の協力でパルマ・デ・マヨルカからフランクフルトへ向かうルフトハンザ181便のハイジャックを起こした。西ドイツ政府に対しドイツ赤軍のメンバー11人の釈放と1500万米ドルを要求したが、これに対して西ドイツ政府は特殊部隊GSG-9を航空機内に突入させ、人質となっていた乗員、乗客を無事救出した。

 ハイジャック失敗の報を受けた彼女はシュタムハイム刑務所内においてロープで首を吊って死亡した。捜査により彼女の死は自殺であったと公式に結論付けられたが、「法的手続きのない処刑だったのではないか」との陰謀説を唱える者もいる。

 1977年10月18日死去(享年37)