玉城健吉

玉城健吉(たましろけんきち 本名:高橋兼次 1927年2月26日生)
 [俳優]



 兵庫県生まれ。小学校1年のとき日活太秦撮影所に子役として入社。1937年に松竹下加茂に転じ、『髭の五郎左』『関の馬子唄』などに出演。1939年に『桃栗五十三次』では高田浩吉と共演した。1945年、高田浩吉劇団が結成されたとき参加、劇団の売りものだった『歌う弥次喜多』で浩吉の弥次郎兵衛に対して喜多八役をつとめて人気を得た。この頃一時、研吉と改名した。

 巡業中に悪性の眼病にかかり、これがもとで1955年に27歳の若さで京都にて病死した。

 1955年1月25日死去(享年27)