筒井敬三

筒井敬三(つついけいぞう 1925年6月24日生)
 [プロ野球選手]



 和歌山県出身。海南中学、横浜専門学校を経て1946年にグレートリングへ入団。捕手として1年目から多くの試合に出場し活躍する。1949年に南海ホークスの別所毅彦を引き抜いた「別所引き抜き事件」で読売ジャイアンツと遺恨となっていたこの年の4月14日の巨人戦で、試合中に三原脩巨人監督に殴打される(三原ポカリ事件)。その後1953年と1955年にオールスターゲームに出場した。1956年に高橋ユニオンズへ移籍。1957年に高橋と大映スターズとの合併によって大映ユニオンズに移籍し、同年6月5日に通算1000試合出場を達成した(39人目)。1958年に東映フライヤーズに移籍し、この年に引退。翌年東映の二軍バッテリーコーチになった。

 1959年12月6日に東映の寮で発生したガス漏れにより中毒死。筒井は寮に住んでいたわけではなく、合宿のために和歌山の実家から上京し、世田谷の東映選手の寮にたまたま一人で投宿していて難にあった。ガスコンロに湯沸かしを乗せたままガスが出しっ放しになっていたという。

 1959年12月6日死去(享年34)