馬込政義

馬込政義(うまごめまさよし 1970年生)
 [殺人犯]



 長崎県生まれ。両親はカトリック船越教会に通う敬虔な信徒であり、馬込も生後まもなく同教会で洗礼を受けた。しかし、彼は成人してからは教会に行くことはなかった。佐世保工業高校に進学。温厚という評価がある反面、黒ミサに興味を示すなど、ある同級生からは不気味がられていた。また、卒業直前には万引きで謹慎処分を受けていた。高校卒業後、名古屋と東京で職を転々とした後、佐世保に戻り水産会社や病院、防犯設備会社で働いたが長続きしなかった。仕事のやり方で注意されると激高し短期間で退職することもあった。弁護士を目指し司法試験を受けていたが、4年連続で不合格となっていた。

 2002年夏頃から銃に興味を示し、初めて佐賀県の銃専門店で銃を購入。2007年9月までに散弾銃3丁と空気銃1丁を購入し、警察には射撃競技と狩猟に用いると届け出た。事実、馬込は一時クレー射撃クラブに所属し、同じクラブのメンバーからは「気が利き礼儀正しい」と好印象を持たれていた。しかし一方で、奇声を発したり、近隣住民に深夜突然トイレを貸してほしいと訪ねるなど奇行も見られた。この近隣住民は彼の銃所持許可取り消しを警察に求めたが、警察は自主的な提出を要請しただけであった(提出要請には法的拘束力がなく、馬込はこれに応じていない)。

 馬込は安定した収入がないのにもかかわらず、父親の退職金を頼って浪費を続け、300万円の新車と40万円の漁船を購入した。金融機関から570万円の借金を抱えていたが、母親が生活費の援助を打ち切ったことから、返済の目処が立たなくなった。

 2007年12月13日、馬込は中学時代からの複数の旧友に、翌14日にスポーツクラブ「ルネサンス佐世保」に来るように電話やメールで指示した。そして、14日午後7時10分頃、ルネサンス佐世保に迷彩服姿でフルフェイスのヘルメットを被り散弾銃を持って入店。プールに直行すると、無言で散弾銃を発砲し始めた。プールで小中学生を指導中だった26歳の女性インストラクターは、生徒を誘導して事務室に逃げ込もうとしたが、先回りした馬込は水着姿の女性インストラクターに向けて至近距離から発砲し、左脇腹に致命傷を負わせた。さらに、ロビー近くで犯行を制止しようとした36歳男性(馬込の旧友)にも数発発砲した後、裏口から逃走した。女性インストラクターと36歳男性は、運ばれた病院で死亡が確認された。また、大人4人と女子小学生2人が被弾し、重軽傷を負った。

 馬込はルネサンス佐世保で乱射した後、寄り道することなく約4km離れたカトリック船越教会へ逃走したものとみられている。そして翌15日午前7時35分頃、教会の敷地内で散弾銃を持ったまま首から血を流して死んでいるのが発見された。彼はこの教会の信徒であった。警察は自殺と判断した。

 馬込が犯行と自殺に使用した銃は、3連射可能な単身自動式の散弾銃ベレッタAL391であった。彼の車には、事件で使用されなかった銃3丁の他、サバイバルナイフとガスマスクと実包約2500発が残されていた。見つかった実包のうち100発は、通常の散弾より殺傷能力が高いスラッグ弾であった。実包はこの他にも、服のポケットから180発、自宅から22発見つかっている。火薬類取締法が自宅保管を認める実包の最大数は800発であるが、彼はこれを大きく上回る約2700発の実包を違法に所持していたことになる。

 馬込は2008年2月2日、殺人等の容疑で書類送検された。3月5日、長崎地方検察庁佐世保支部は被疑者死亡を理由に彼を不起訴とした。馬込が自殺したため、動機の解明は難航した。当初は無差別殺人かと思われていたが、事件時たまたま客としてプールにいた、女性インストラクターの交際男性を押しのけ、他の人に目もくれず女性インストラクターを狙撃していることから、警察は最初から女性インストラクターを計画的に狙った犯行と断定した。馬込は数年前からルネサンス佐世保でウェイトトレーニングをしており、殺害された女性インストラクターに一方的な恋愛感情を抱いていたと見られている。旧友の36歳男性の射殺動機について、警察は、男性が犯行を制止しようと試みたことに馬込が激昂したものと断定した。後に36歳男性の制止行為は警察官の職務に協力援助した者の災害給付に関する法律第2条が定める協力援助行為と認定され、遺族に給付金が支払われた。警察は、馬込が仕事に就けず借金返済もできなくなったことなどから、「自暴自棄となり犯行に至った」と結論付けている。しかし、好意を寄せていた女性インストラクターに対し殺意を抱くに至った理由や旧友たちをスポーツクラブに呼び出した理由については、明確な答えを出せていない。動機について学者から様々な説が出ており、「まず自殺を考え、最後に『人生の見せ場』を作ろうとしたのではないか」、「社会や周囲への被害妄想を抱くようになり、多くの人を道連れに死のうとしたのではないか」といった指摘がある。

 この事件では、生活が破綻していた馬込が銃を合法的に所持していたこと、その奇行から近隣住民が警察に銃所持許可の取り消しを再三求めていたにもかかわらず特に対策が採られていなかったことから、法体制や所持審査のあり方が問われた。協議の末、2008年11月28日改正銃刀法が成立し、2009年1月5日施行された。改正銃刀法では銃所持資格が28年ぶりに見直され、ストーカー行為、家庭内暴力、自殺の危険性がある者などが欠格事由に加えられた。

 2007年12月15日死去(享年37)