ビリー・コリンズ・ジュニア

ビリー・コリンズ・ジュニア(Billy Collins Jr. 本名:ウィリアム・レイ・コリンズ・ジュニア 1961年9月21日生)
 [アメリカ・プロボクサー]



 テネシー州ナッシュビル出身。父親もかつてウェルター級のプロボクサーであった。1981年にプロデビュー。14戦全勝で迎えた1983年6月16日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにてロベルト・デュラン対デビー・ムーアの前座でルイス・レストと対戦し10回3-0の判定で敗れ、初黒星を喫した。勝利したレストがコリンズのコーナーへ行き、コリンズのトレーナー兼父親のビリー・シニアに握手を求めた。しかし、ビリー・シニアがコリンズのボクシンググローブが普通よりも薄いことに気づき、ニューヨーク州ボクシングコミッションにグローブの調査を要求。コリンズは虹彩を損傷するなど視力障害でこの試合を最後にボクシングを引退せざるを得なくなった。調査の結果、それぞれのグローブの手のひらの部分に0.75インチの穴が見つかり、1オンスずつ中綿が抜かれていたことが判明する。1983年7月1日、ニューヨーク州コミッションはレストのトレーナーであるパナマ・ルイスがグローブに細工をしたと断定し、パナマ・ルイスのボクシングライセンスを永久に剥奪すことを決定。試合結果もノーコンテストに変更した。

 1984年3月6日、コリンズがテネシー州の自宅近くで排水溝に車を激突させ事故死した。ボクシングを続けることが出来なくなったことに悲観しての自殺と言われている。1986年10月、ルイスとレストは裁判にかけられ、暴行罪、武器の不法所持、犯罪の共謀で有罪となり、ルイスに懲役6年、レストに懲役3年が宣告される(ルイスは1990年に出所する)。数年後、この事件に焦点を当てたドキュメンタリー番組「リングの中の暴行罪」の中で、レストはルイスが少なくとも2回グローブから中綿を抜いたことがあった事と、パンチ力を増すためにバンテージを石膏に浸していた事を証言している。ルイスは現在もレストのバンテージを巻いたセコンドのアーティー・カーリーが不正をしたのであって、自分は無罪であると主張している。

 1984年3月6日死去(享年22)