ジャンヌ・ウェバー

ジャンヌ・ウェバー(Jeanne Weber 1874年10月7日生)
 [フランス・シリアルキラー]



 漁師の家に生まれた。10代の時にパリに職を得るために出て女中奉公を行う。結婚して3人の子供に恵まれたがその内2人が相次いで病死してしまう。それ以降彼女は酒に溺れるようになる。1905年3月2日、3月11日、3月25日に義理の弟の子供がジャンヌに預けられている際に相次いで亡くなったためジャンヌに疑惑が向けられたが同年3月28日にただ一人生きていた彼女の息子がジフテリアで亡くなり彼女には同情が向けられることとなった。しかし4月11日にもまた義理の弟の子供が急死するとその母親により警察に殺人の疑いで通報がされ彼女は逮捕された。しかし証拠不十分で釈放された。

 パリを離れた彼女は名前を変えて男やもめに女中として雇われたがその家の息子がまたもや急死し彼女は再度殺人で訴えられたが無罪となった。再度名前を変えた彼女は小児科病院に採用されるが子供の首を絞めているところを目撃される。風評被害を恐れた医師は彼女を解雇するに留め殺人未遂で訴えることはなかった。

 再度名前を変えた彼女は売春婦となっていたが1908年5月10日、下宿している家の息子を殺害しているところをその両親により目撃され逮捕される。彼女は有罪判決を受けた後、精神病院に送られたが、2年後に自らの首を手で絞めて自殺した。その両手は喉に食い込み、口からは泡を吹いていたという。

 1918年7月5日死去(享年43)