チック・スタル

チャールズ・シルヴェスター・"チック"・スタル(Charles Sylvester "Chick" Stahl 1873年1月10日生)
 [アメリカ・プロ野球選手]



 インディアナ州ウェスト・バーデン・スプリングス出身。ポジションは外野手。1897年、ボストン・ビーンイーターズでデビュー。当時のメジャーリーグではその打率の高さから投手に恐れられていた。彼の巧打を表す逸話として、1897年には1試合6安打を達成、1903年のワールドシリーズでは三塁打を3本も放った、などがある。1901年、ボストン・アメリカンズに移籍。1906年、ジミー・コリンズの後を継いで選手兼任監督となる。

 1907年3月28日、シーズン前のスプリングトレーニング中にフェノールを飲んで自殺したが、その動機は不明である。チームメイトの数人に「少年達よ、私はそれを助けることが出来なかった。それは私の気持ちを駆り立てた」と最期の言葉を語った。それが正確に何を指しているのか未だに謎のままである。1908年の新聞は彼が友人のジミー・コリンズをチームから放出する使命を帯びていたので、落胆していたと主張している。

 1907年3月28日死去(享年34)