ピア・アンジェリ

ピア・アンジェリ(Pier Angeli 本名:アナ・マリア・ピアンジェリ 1932年6月19日生)
 [イタリア・女優]



 イタリアのサルデーニャ島・カリャリ出身。美術学校を卒業した後、女優を志す。父親は娘が芸能人になるのに反対であったが、母親がステージママの役を買ってでて、16歳のときにイタリア映画でデビューした。とくに1950年のヴィットリオ・デ・シーカの映画『明日では遅すぎる』ではイタリア映画のネオ・レアリスモ運動の大きな原動力となったこの作品の評価と商業的成功に多大に貢献、これが1950年代の米国進出(メトロ・ゴールドウィン・メイヤーと契約)のきっかけとなる。MGMではポール・ニューマンの『傷だらけの栄光』でヒロインを演じるなど清純派女優としてハリウッドで活躍した。それ以降はイタリアを中心にヨーロッパ映画に出演。

 その後、『エデンの東』を撮影中だったジェームズ・ディーンと恋に落ちるが、ピアの母親の反対(アンジェリ家はローマ・カトリックだったがディーンはカトリックでなかったことが原因だったといわれる)などもあって別れたことは有名。1954年、歌手兼俳優のヴック・ダモーンと結婚して息子をもうけたものの、ダモーンが義母の干渉しすぎを嫌い、1959年に離婚。離婚直前には息子の親権を巡って泥沼の裁判劇を繰り広げた。

 その後は米国映画の作風の変化(暴力・性的表現の過激化など)についていけなくなったことから、イタリアに戻りヨーロッパを拠点に女優として活動を再開する。1962年2月14日、音楽家アルマンド・トロヴァヨーリと再婚し、翌1963年1月8日、ふたりの間に息子が生まれた。その後、歌手としてアルバムなど作品リリースを行なうなどするも人気・仕事では低迷・不遇が続き、結婚生活もうまくいかず、1969年に夫アルマンドと再び離婚した。

 ハリウッドに戻り再起を期したが、結婚の破綻による鬱症状、女優人生の行き詰まりからくる神経症などに悩まされ、医者から処方された精神安定剤を服用するようになった。そして1971年、睡眠薬であるバルビツール酸系薬物の飲み過ぎ(自殺説もあり)で亡くなった。遺体はフランスに埋葬された。

 1971年9月10日死去(享年39)