高嶋象山


高嶋象山(たかしましょうざん 1886年7月10日生)
 [易者]



 岡山県に生まれる。高島易断で知られた高島嘉右衛門の影響により、姓を高嶋と改め、易断に邁進。1932年、東京神田に「高嶋易断総本部」を開設。「だまって座ればピタリとあたる」のキャッチフレーズで話題を呼び、易断界の大御所にのし上がった。占いに関する著書も執筆する。また、千代田区議の経験もあった。

 1959年11月24日午後9時、総本部の待合室にて神経症を患った24歳の青年が出刃包丁にて象山の長男に切りかかり、隣の部屋から出てきた象山にも襲いかかった。長男は一命をとりとめたが、象山は翌日早朝に出血多量で死去した。象山を殺した青年は心霊術に関心を抱き、象山のもとを訪ねるなどしていた。しかし象山は易者なので心霊術については知らないと答えていた。犯人は「易、心霊術、忍術は大衆を惑わす」「対決させて心霊術ブームを打ち崩す」などと語っていたといい、持っていた妹宛ての手紙には、「心霊術に悩まされてどうしようもない。おれが何をしても理由は聞くな。今後いっさい占い師を信用してはいけない」と記されていた。

 易者でありながら自分の運命を占うことができなかったことで、易断界に批判など波紋が広がることとなった。

 1959年11月25日死去(享年73)