ビタス・ゲルレイティス

ビタス・ケビン・ゲルレイティス(Vitas Kevin Gerulaitis 1954年7月26日生)
 [アメリカ・テニス選手]



 ニューヨーク市ブルックリン区出身。ゲルレイティスはコロンビア大学を1年で中退し、1971年にプロテニス選手となった。4大大会にデビューした1971年全米オープンでは、1回戦で敗れた相手が日本の坂井利郎選手であった。

 1975年のウィンブルドンで、ゲルレイティスは同じアメリカのサンディ・マイヤーとペアを組み、4大大会の男子ダブルスで初優勝を果たす。1977年と1978年のウィンブルドンでは、2年連続でベスト4に進んだが、1977年の準決勝でビョルン・ボルグと最終第5セット(6-8)まで競り合った試合は、今なお選手権史上に残る名勝負の1つとして語り継がれている。

 1977年の全豪オープンは、年頭の1月開催と年末の12月開催の2度行われた。ゲルレイティスが優勝したのは12月の年末開催の大会で、決勝の相手はイギリスのジョン・ロイドであった。

 その後のゲルレイティスは4大大会で2度の準優勝に終わり、1979年全米オープンの決勝では当時20歳のジョン・マッケンローに敗れ、1980年全仏オープンの決勝ではボルグに敗れた。そして1986年3月、ベルギー・ブリュッセルの大会を最後に31歳で現役を引退した。

 1994年9月17日、ニューヨーク州ロングアイランドの友人宅に滞在していた時、睡眠中にエアコン装備が故障し、一酸化炭素中毒のため不慮の死を遂げた。

 1994年9月17日死去(享年40)