エル・ソリタリオ

エル・ソリタリオ(El Solitario 本名:ロベルト・ゴンサレス・クルス 1946年5月25日生)
 [メキシコ・プロレスラー]



 ハリスコ州ヤウアリカ出身。プロレスラーとして活動していた兄のヘスス・ゴンサレスの紹介により、ジョー・エル・エルモソのトレーニングを受けて1960年に14歳でデビュー。前年に試合中のアクシデントで死去したヘススのリングネームを継承し、覆面レスラーとして活動していたが、1962年12月にマスカラ・コントラ・マスカラ(お互いの覆面を賭けた試合)で敗れてマスクを失う。その後、ディアブロ・ベラスコのもとで再びトレーニングを積み、1966年2月にエル・ソリタリオとして再デビューを果たした。

 1967年よりEMLLに参戦、1969年8月にはエル・ラヨ・デ・ハリスコを破ってNWA世界ミドル級王座を獲得し、1970年11月にはレイ・メンドーサからNWA世界ライトヘビー級王座を奪取した。1971年はアメリカのNWAロサンゼルス地区にも進出し、国際的なスターとなっていたミル・マスカラスとも激闘を展開している。

 1972年7月、日本プロレスの『サマー・ビッグ・シリーズ』に初来日し、ジャイアント馬場や坂口征二らスーパーヘビー級の選手とも対戦。ソリタリオ(孤独な男)というリングネーム通り、華やかなマスカラスとは対照的なクールな雰囲気から、日本では「孤狼仮面」なる異名が付けられた。帰国後の1972年12月、パートナーだったアンヘル・ブランコをマスカラ・コントラ・マスカラで破ったことを機にテクニコに転向。翌1973年には最優秀人気選手に選ばれ、以降マスカラスに匹敵する人気を持つ重量級ルチャドールのトップ・スターとなってメキシコのマット界に君臨した。

 1977年よりLLIに移籍し、1979年5月にはLLIの提携ルートで新日本プロレスの『第2回MSGシリーズ』に来日。新日本には1981年9月の『ブラディ・ファイト・シリーズ』にも再来日し、田園コロシアムにて藤波辰巳のWWFジュニアヘビー級王座に挑戦している。その間の1980年1月にはメキシコシティにて栗栖正伸を破りUWA世界ジュニアライトヘビー級王座を獲得。1982年にはUWA世界ジュニアヘビー級王座の初代チャンピオンに認定された。

 1986年3月、ヌエボ・レオン州モンテレイでの試合中に腰を強打。歩行困難となる重傷を負い手術を受けるも、施術中に心臓麻痺を起こし同年4月6日に死去した。

 1986年4月6日死去(享年39)