クロード・コーガン

クロード・コーガン(Claude Kogan 1919年生)
 [フランス・登山家]



 ニースの水着製造業者の娘。クロード・コーガンは若い時から登山の魅力に取りつかれて、アルプスに何度も出かけた。第二次世界対戦後はアンデスに登山するようになり、1953年からはヒマラヤ山脈に向かい、ガネーシュ・ヒマールを含むいくつもの単独登頂の記録を作った。1951年、クロード・コーガンが参加したフランス・ベルギー合同隊は、アルパマーヨ山(5947m)に初登頂を果たしたと主張していたが、のちに写真を調査したドイツ隊は、1951年の合同隊が実際の登頂に至っていないとの結論に達した。

 1954年、クロード・コーガンはネパールと中国チベット自治区にまたがるチョ・オユー(8201m)の7600m地点まで登った。1959年7月、彼女は女性登山隊を率いて再びチョー・オユーの登頂に挑んだが、同年10月にキャンプで雪崩に巻かれて死亡した。

 1959年10月?日死去(享年40)