長井健司

長井健司(ながいけんじ 1957年8月27日生)
 [映像ジャーナリスト]



 愛媛県出身。愛媛県立今治西高等学校を卒業した後、東京経済大学経済学部に進学。卒業後にアメリカに1年間留学した。元々はミュージシャン志望であった。日本に帰国して映像ジャーナリストとして活躍する前はアルバイトで生活していたという。

 1997年よりAPF通信の契約記者として活動。常々「誰も行かないところに誰かが行かなければ」と語りパレスチナ紛争、イラク戦争、アフガニスタン空爆などを現地取材し戦争の本質を捉えた映像を撮り続けた。

 彼は反政府デモを取材するために2007年9月25日にミャンマーに観光ビザで入国した。27日、ヤンゴンのトレーダー・ホテルから数ブロック離れたスーレ・パゴダ近くでデモを撮影していたが、軍の治安部隊がデモ隊に発砲した際に彼を射殺した。

 当初ミャンマー政府は治安部隊が発砲した際に前からの流れ弾に当たったと説明した。しかし日本のテレビでも放送された別の角度から映されたビデオは、背後から近づいた軍人が至近距離で彼を撃ったと思われる姿を捉えていた。

 警察庁の発表では銃弾は左腰背部から右上腹部に抜け、肝臓を損傷し大量の出血を引き起こしたと伝えられている。

 テレビ報道によれば、政府による監視者が彼の周りについていたとされる。監視者はミャンマーでは珍しく携帯電話を持っていることから私服の治安部隊員とされて、健司の様子を携帯電話のカメラで撮っていた様子も映像に映っていた。デモ隊の一部が銃撃されているところを木の陰からカメラに収めていた様子も語られている。監視者が彼の行動を兵士に携帯電話で逐一伝えていたとされる。ミャンマー政府による監視者が兵士に射殺命令を下していたという指摘もある。

 彼が撮影に使用したカメラはミャンマー政府に取り上げられており、日本側はカメラの返還を求めている。さらに、返還された遺品の中には手帳があったが、一部が破り取られていたことからカメラと共に何らかの記録が残っていて、それをミャンマー政府が隠蔽したと指摘されている。

 一周忌の翌日にあたる2008年9月28日、毎日新聞は同社が入手したミャンマー軍の機密文書で軍当局が兵士に対しデモ現場にいるカメラ所持者を銃撃するよう指令を出していたことが明らかになり、「最重要射撃対象者」と位置付けられていた。健司の銃撃が偶発的になされたのではなく、軍の組織的な指令によるものだったと報じた。

 2007年9月27日死去(享年50)