坂本正人

坂本正人(さかもとまさと 1966年5月20日生)
 [殺人犯]



 群馬県生まれ。坂本が生まれ育った被差別部落は代々関八州の被差別民を統轄していた浅草弾左衛門を頭とする長吏村だった。「チョーリンボー」と言われ差別されていた。坂本の曽祖父は広く畜産業を営む富豪であり、村会議員を務めた地元の有力者だった。しかし坂本が中学を卒業した頃、実家の畜産業は倒産した。坂本は1年で高校中退を余儀なくされた。親戚筋をたより、地元の建設会社に勤めたが、無断欠勤が多く、2000年頃に会社を辞めてしまった。

 1999年から、妻と娘、そして妻の連れ子と実家で同居。しかし坂本は妻や娘に暴力を繰り返し、6月には妻と子供は児童相談所に保護された。その後は定職に就かず、金に困っており、時々父親に金を無心していた。当時、坂本は消費者金融などに200万円以上の借金があった。

 2002年7月19日昼過ぎ、坂本は高校の終業式を終えて中学時代の友人の集まりに徒歩で行く途中だった大胡町に住む女子高生(16歳)に「行きたいところがあるので地図を描いてほしい」と車から声をかけ、無理やり車に乗せて拉致した。数時間後、林道で止めていた車から逃げ出そうとした女子高生をカーオーディオのコードで首を絞めて殺害し、被害者財布から現金3000円を奪った。殺害後の夜11時30分、坂本は被害者の携帯電話を使って、被害者家族に身代金20数万円を要求。家族は夜11時50分に警察に通報した。

 7月20日、坂本は電話で赤堀町内の路上に現金を置くように指示した後、金を取りに現れたところを、尾行していた捜査員に任意同行を求められた。当初、「仲間は他に4人いる。女子高生はその4人と一緒」などと坂本は語っていたが、7月23日夜、「自分が殺して埋めた」と自供した。また、「連れ去るのは誰でもよかった。別れた妻と娘に会うため、女を拉致して引き換えにしようとした。大変なことをしてしまった」などと供述した。

 2003年10月9日、前橋地裁は殺人、略取、身代金取得などの罪で坂本に無期懲役判決を言い渡した。裁判長は「大胆、卑劣で、被害者の無念は察するに余りある。ただ、綿密に計画されてはいない」と述べた。裁判長は閉廷を告げて被告が退廷した後、傍聴席にいた女子高生の両親に「犯人が人を殺すのは簡単だが、国家として死刑判決を出すことは大変なことです。納得できないと思いますが、そういうことです」と語りかけた。遺族の心情を気遣ってのこととみられるが、裁判長が閉廷後の法廷で釈明するのは異例のことであった。

 2004年10月29日、東京高裁は一審を破棄して坂本に死刑判決を言い渡した。裁判長は「動機は身勝手で殺害方法は残忍極まりない。(殺害後に)親に身代金を要求する時も笑いながら話すなど、卑劣極まりない」と厳しく指摘した。坂本が上告しなかったため、死刑判決が確定した。

 2008年4月10日、東京拘置所で坂本の死刑が執行された。地元ではこの事件が発生した前後にも坂本と同じ地区の出身者によるコンビニ強盗や、やはり同じ地区出身の村会議員による汚職といった犯罪が相次いでいたため、被差別部落に対する偏見の悪化を恐れて困惑する空気が強まったと伝えられる。

 2008年4月10日死去(享年41)