モーリーン・コノリー

モーリーン・キャサリン・コノリー・ブリンカー(Maureen Catherine Connolly Brinker 1934年9月17日生)
 [アメリカ・テニス選手]



 カリフォルニア州サンディエゴ出身。1953年に女子テニス史上初の年間グランドスラムを達成した選手である。身長160cmほどしかない小柄な体格だったことから、“Little Mo”(リトル・モー)という愛称で呼ばれた。しかしキャリアの最盛期に落馬事故で引退を余儀なくされ、癌のため34歳の若さで亡くなった悲運の人でもある。プレー・スタイルは典型的なベースライン・プレーヤーで、試合中にネットに出ることは少なかったという。

 コノリーは当時最も有名なコーチだったエリナー・テナントの指導を受け、1949年から選手生活を始めた。1951年に全米選手権で4大大会初優勝を飾り、以後1953年まで大会3連覇を達成。1952年から1954年までウィンブルドンにも大会3連覇。1953年は全豪選手権でジュリア・サンプソンを破って初優勝を飾り、全仏選手権、ウィンブルドン選手権、全米選手権の3大会連続でドリス・ハートを決勝戦で破った。1938年にドン・バッジがテニス史上初の年間グランドスラムを達成してから15年後、コノリーは女子選手として初の偉業を達成した。1954年にも全仏選手権2連覇、ウィンブルドン選手権3連覇を達成している。1954年の全仏選手権では、女子シングルス・女子ダブルス・混合ダブルスの3冠を獲得する大会完全制覇もあった。この大会のダブルスではオーストラリアの選手たちとペアを組み、女子ダブルスはネル・ホール・ホップマン、混合ダブルスはルー・ホードと組んだ。

 しかし1954年のウィンブルドン3連覇の後、全米選手権を迎える直前に、コノリーは乗馬の最中にトラックにはねられて足に大怪我を負い、わずか19歳の若さで選手生命を絶たれる。この悲劇の後、彼女はノーマン・ブリンカーと結婚した。やがて彼女の足は生活に支障をきたさなくなり、テニスのコーチを務めるところまで回復した。1968年に国際テニス殿堂入りを果たしたが、翌年の1969年6月21日に癌のためテキサス州ダラスにて34歳の短い生涯を閉じた。

 死去から9年後の1978年、彼女の生涯をモデルにした映画『リトル・モー』が製作され、日本でも1979年に劇場公開された。また彼女の生涯を称えてモーリーン・コノリー・ブリンカー財団が設立された。

 1969年6月21日死去(享年34)