見沢知廉

見沢知廉(みさわちれん 本名:高橋哲夫 1959年8月23日生)
 [政治活動家/作家]



 東京都生まれ。小学生の時は表向きおとなしい優等生で、日本進学教室や四谷大塚に通って受験勉強に励んでいたが、その反面、ヒトラーの『わが闘争』やドストエフスキーの『罪と罰』を耽読し、自分は天才である、故に何をしても許されると考える側面もあった。さらに大蛇やワニを飼い、生きたネズミを食わせ、その有様を眺めて楽しんだ他、ウサギやイヌやネコを殺す動物虐待者の顔を持ち、「猫殺し哲」と呼ばれ、また妄想・虚言癖ゆえに「嘘つき哲」とも呼ばれた。

 早稲田中学に入学後、中学3年の時右翼組織の活動を手伝うようになるが、失望。反体制の思想が芽生え始める。この頃、反体制のスタイルに共鳴し暴走族に参加。その後付属の早稲田高校に進学、同時期に新左翼のブントの高校生組織に所属し学生活動を始める。高校在学中、試験中にテスト用紙を破り、教室内でアジ演説をぶって退学処分となり、定時制高校を経て中央大学法学部2部除籍中退。

 1980年、三島事件に感銘を受けた事を機に、右翼学生団体・日本学生同盟に加入。左翼から右翼に再び転向したが、連合赤軍には共鳴していたという。

 1982年、新右翼の一水会・統一戦線義勇軍書記長に就任。組織名「清水浩司」として、日本IBM、英国大使館等への火炎ゲリラ活動を行う。同年秋、スパイ粛清事件を起こし、逮捕。懲役12年の判決を受け、川越少年刑務所・千葉刑務所・八王子医療刑務所・千葉刑務所で1994年12月まで服役。刑務所生活では、千葉刑務所の懲罰房がもっとも長く、3000日の間服役していた。この懲罰房で執筆活動を行う。

 釈放後の1995年に、獄中で執筆した『天皇ごっこ』を発表。第25回新日本文学賞の佳作に選ばれる。1996年、獄中手記『囚人狂時代』を発表し、8万5千部を売り上げる。1997年、『母と子の囚人狂時代』、『獄の息子は発狂寸前』などを発表。同時期に『調律の帝国』で三島由紀夫賞候補に選ばれたが落選。以降は講演会等を中心に活動していた。

 講演活動以外にも、その後慶應義塾大学文学部通信教育課程に入学し、学生として勉学し直していたが、2005年9月7日、横浜市戸塚区の自宅マンション、ドリームハイツ8階から飛び降り、転落死。自殺の動機については、経済的に困窮していた事などが言われている。公式ホームページでは自身がカンパを求めていた。

 2005年9月7日死去(享年46)