若井伸之(わかいのぶゆき 1967年7月25日生)
[オートバイレーサー]
若井の死を受けて、他の日本人ライダーは当初出走の辞退も考えたが、原田が出走を決意したのを皮切りに、最終的には「若井のために頑張ろう」と出場を決めた。250ccクラスの決勝では、原田がコースレコードをも更新する走りで、他に大差を付けて優勝。125ccクラスでも、坂田がラルフ・ウォルドマンを振り切り、WGP初優勝を遂げた。レース終了後、原田はバイクにまたがったまま号泣し続け、坂田も表彰台で悲壮な表情と涙をみせた。また、このレースで5位に入賞した上田はレース後、若井の事故現場まで自身のマシンで近づき、コンクリートウォールを軽く叩いて若井に別れを告げた。原田はこのときの優勝トロフィーを、若井の遺族に送ったという。死後、募金で集めた資金でヘレス・サーキットには若井を偲ぶフラミンゴのモニュメントが建てられた。その余剰金は、モンゴル国のアイスレースへの支援にも使われ、フラミンゴカップとして開催された。
1993年5月1日死去(享年25)