レン・バイアス

レナード・ケヴィン・バイアス(Leonard Kevin Bias 1963年11月18日生)
 [アメリカ・バスケットボール選手]



 メリーランド州ランドーバー生まれ。ノースウェスタン高校卒。大学はメリーランド大学に進学。ポジションはフォワードでありながら卓越した運動能力の持ち主で、2年生時には早くもチームの主軸となった。1986年6月17日に開催されたNBAドラフトにて、ボストン・セルティックスから全体2位指名を受けて入団。翌18日、ボストンでセルティックスとの契約セレモニーが行われ、そして早くも大手スポーツ用品メーカー、リーボックと300万ドルの契約を結んだ。その夜にワシントンD.C.へ戻ったバイアスは、友人らと遊んだあと、メリーランド大学キャンパスの部屋へ戻った。そして翌19日早朝、バイアスはチームメイトのテリー・ロングと話している最中に突然倒れ、救急搬送されたが意識を取り戻す事なく、8時55分に死亡が確認された。死因はコカイン使用による心不整脈であった。

 バイアスが契約セレモニーが行われたボストンからワシントンD.C.に戻った夜、彼の乗った車がドラッグ売買で有名な場、モンタナ・アベニュー・ノースイーストをクルージングしているのを警察が覆面捜査で確認しており、車が途中止まっていた事、少なくとも2人は乗っていた事、そしてナンバープレートも記録されていた。この時に買ったと思われるコカインをバイアスが使い、そのコカインが彼の心不整脈を誘発したと結論づけられた。バイアスはドラッグ常習者だった訳ではなく、初めて手を出したドラッグで死亡したことがわかっている。5月27日にはセルティックスによる健康診断もパスしており、薬物反応も検出されなかった。メリーランド大学による身体・薬物検査でも異常はなかったという。

 ドラフト選手が指名を受けた僅か二日後に薬物で急逝するという類を見ないその事実は、全米に衝撃を与えた。存命し続けていれば「マイケル・ジョーダンとさえ比肩し得る名選手になっていた」とまで言われたバイアスが、NBAのコートに立つ事無くこの世を去るという悲劇に、当時セルティックス人事部門責任者であったレッド・アワーバックは「ボストンの街がケネディ大統領暗殺以来こんなにショックを受けた事は無かった」と述べた。

 バイアスの死後、彼のチームメイトや友人は裁判に巻き込まれた。最終的にはバイアスの長年の友人だったブライアン・トリブルが麻薬の売人としての罪を認め、10年1ヶ月の懲役を受けた。

 この件以来NBAでは、ドラフト前の選手も含めて薬物検査を徹底するようになり、検査で引っかかった選手には厳しい罰が下るようになった。

 バイアスが亡くなってから9年後の1995年12月5日、同じくバスケットボールの才能があった弟、ジェイ・バイアス3世が20歳という若さで銃撃され死亡するという悲劇が起きている。

 1986年6月19日死去(享年22)