フランソワ・ステルシェル

フランソワ・ステルシェル(Francois Sterchele 1982年3月14日生)
 [ベルギー・サッカー選手]



 リエージュ出身。ポジションはフォワード。リエージュ州にあるFCロンシンという小規模クラブでサッカーをはじめ、10歳の時にRFCリエージュの下部組織に移った。RFCリエージュには10年間在籍し、その後RFCウニオン・ラ・カラミンに移って3シーズンプレーした。2004年にベルギー・サードディヴィジョン(3部)のOHレーヴェンに移籍し、2004~2005シーズンには21得点を挙げて得点ランキングの2位となった。プレーオフでは8得点を挙げ、ベルギー・セカンドディヴィジョン(2部)昇格に貢献した。2005年にはジュピラー・リーグ(1部)のシャルルロワSCに移籍し、2005~2006シーズンには31試合に出場して9得点を挙げ、ジャッキー・マタイセン監督の下でサッカー選手として飛躍した。2006年にはKFCジェルミナル・ベールスホットに移籍し、21得点を挙げてリーグ得点王に輝いた。2007年には恩師マタイセン監督が率いるクラブ・ブルッヘに移籍し、リーグデビュー戦となったRAECモンス戦で2得点を挙げた。その後も得点を重ね、最終節を前にしてチームトップの11得点を記録していた。2007年3月24日、UEFA EURO 2008予選のポルトガル戦でベルギー代表デビューした。6月2日のポルトガル戦、6月6日のフィンランド戦、10月13日のサッカーフィンランド戦にも出場し、国際Aマッチで計4キャップを記録した。2008年2月5日にはベルギー代表対スタンダール・リエージュの練習試合が行なわれ、この試合にも出場している。

 2008年5月7日、アントウェルペンの友人宅に滞在し、N49号線をポルシェ・ケイマンで自宅に帰宅する途中、5月8日午前3時頃にアントウェルペンとクノッケの間に差し掛かったが、スピードの出しすぎで排水溝にタイヤを取られ、車の制御を失って街路樹に激突した。単独事故であり、即死だった。

 数日後のシーズン最終節では、ジュピラー・リーグ全試合で選手が喪章を着けてプレーし、クラブ・ブルッヘの選手はステルシェルの背番号23を胸に入れた特別ユニフォームで試合に臨んだ。クラブ・ブルッヘはステルシェルが着けていた背番号23を永久欠番とすることを決定した。試合中、クラブ・ブルッヘのサポーターは前半23分になるとステルシェルのチャントを歌っている。UEFAヨーロッパリーグで対戦していたバーミンガム・シティFC(イングランド)のサポーターもステルシェルに敬意を表し、セント・アンドルーズ・スタジアムでの対戦時に賛辞を贈った。クラブ・ブルッヘは毎年プレシーズンにコッパ・ステルシェルという親善大会を開催している。

 2008年5月8日死去(享年26)