新倉雅美

新倉雅美(にいくらまさみ 本名:渡邊清 1937年生)
 [アニメ製作会社社長]



 新潟県出身。地元の中学を卒業して上京。俳優を志したが、やがて断念してアニメーション制作に転向。1962年4月頃、コマーシャルプロダクションの動画プロに入社し1年務めたあと創業間もない東京ムービーに入社し、アニメの仕事を覚え、1965年に日本放送映画の発足当時のメンバーの一人となり代表取締役となる。日放映は旧虫プロダクションのメンバーと東映動画のアニメーターなどで成り立っていた。

 渡邊は新潟の財界の実力者の人物の田中角栄と関係が深かったため、新潟にスタジオを設立し、田中角栄に頼み込み日本テレビと共同でアニメの帯番組を製作していた。日放映時代から東京テレビ動画時代に演出、監督などし日本テレビ動画の社長となる。日本テレビ版ドラえもんの放送が日曜午後7時のゴールデンタイムと本来取って来れない枠を取ってくるなど政治力があったという(なお日曜夜7時枠のアニメで日本テレビ制作作品は「ドラえもん」が唯一)。

 1973年に『ドラえもん』がスタートすると、本社を新潟から東京へと移す。同作の収益は黒字で、東京テレビ動画時代からの赤字を補填できる目途がついたが、その矢先に渡邊は突如失踪した。後を継いだ会長も経営に関心がなかったようでほどなく廃業。日本テレビ動画はわずか1年強で消滅し、『ドラえもん』も打ち切りとなった。

 失踪した渡邊はその後、海外で映画会社を勃興させるもうまくはいかず、フィリピンに移住し、日比合作の映画製作の話をフィリピン政府要人に持ちかけたが、実現せず、借金を抱えて困窮していた。その後、暴力団東組の暴力団員から、拳銃密輸の話を持ちかけられ運び屋となり、1986年5月に逮捕され、送検されている。逮捕後の報道は無く、それ以後の消息などは一切不明で、関係者でも、現在つきあいのある人間は、誰ひとりいないという。