ジュディ・シル

ジュディ・シル(Judee Sill 1944年10月7日生)
 [アメリカ・シンガーソングライター]



 カリフォルニア州オークランド出身。ジュディの父と兄は彼女の幼少期にそれぞれ事故で他界している。彼女の母親は『トムとジェリー』のアニメーターであったケネス・ミューズと再婚したが、その生活は酒びたりの状態だった。このことから彼女の性格は反抗的なものになり、10代で家出をして犯罪と麻薬の世界に入っていくことになった。17歳で結婚と離婚を経験。その後、ヘロイン中毒になり薬物療養施設で知り合った弁護士と二度目の結婚をするもうまく行かずすぐに離婚。ちなみにジュディはバイセクシャルであった。その後は不渡り小切手発行の罪で逮捕され、服役中にゴスペル・タッチのキーボード奏法を習得し、ジュディはヘロイン中毒を克服して作曲を志すようになった。ジュディの音楽はバッハの韻律と組曲に多大な影響を受けており、詩の面ではキリスト教的な喜びと贖罪をテーマとしていた。

 才能あるピアノ、オルガン、ギター奏者となって西海岸に戻ったジュディは、グラハム・ナッシュとデヴィッド・クロスビーや、できたばかりのレーベルへの契約を依頼してきたデヴィッド・ゲフィンと出会う。ジュディの最初の成功は、タートルズへの「レディ・オー」の楽曲提供により曲が売れたことだった。ファースト・アルバムからの最初のシングル「ジーザス・ワズ・ア・クロス・メイカー」はグラハム・ナッシュがプロデュースした。アルバム『ジュディ・シル』はすぐに評判となった。アルバムは贅沢にオーケストレーションされ、多重録音されたジュディのボーカルは多くの場合4度のコラール/フーガ形式になっている。このアルバムはキャロル・キングやジョニ・ミッチェルら女性シンガーソングライターの作品に代表される潮流の基礎をなす作品となっていた。

 グラハム・ナッシュとデヴィッド・クロスビーのツアーのオープニング・アクトはジュディを大勢の観客に知らしめることになったが、「ジーザス・ワズ・ア・クロス・メイカー」がラジオで頻繁に流されたにも関わらず、レコードはより多くのインパクトを与えることができなかった。ジュディは一曲の作曲に1年を費やすこともあるほどの完璧主義者であったため、セカンド・アルバムであり最後のアルバムでもある『ハート・フード』のレコーディングは1972年末まで行われなかった。このアルバムも高い評価を受けたが商業的には失敗だった。1作目よりさらに多くの弦楽器が加えられ音楽的にも広がりを見せるこのアルバムで、ジュディはオーケストレーションとアレンジの二つの仕事をこなした。

 大衆的な支持を得られず、不本意ながらバッキング・ミュージシャンとして仕事を続けるうち、ジュディの名は徐々に聞かれなくなり、ついには表舞台から完全に姿を消してしまう。その後の彼女については様々な噂が飛び交っているが、再びヘロイン中毒に陥り、コカインまでを常用するようになったことは確かである。その後に見舞われた交通事故による怪我の痛みを抱えながら、ジュディは薬物中毒に苦しみ、ついにコカインの過剰摂取により1979年11月に死亡した。

 1979年11月23日死去(享年35)