マリベル・ビンソン

マリベル・ヤークサ・ビンソン=オーウェン(Maribel Yerxa Vinson-Owen 1911年10月12日生)
 [アメリカ・フィギュアスケート選手/コーチ]



 1928年サンモリッツオリンピックの女子シングルに出場し4位。同年の世界フィギュアスケート選手権では2位となる。1932年レークプラシッドオリンピックの女子シングルで銅メダルを獲得。1936年ガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックには女子シングルとペアで出場。女子シングルでは5位となり、ジョージ・ヒルと組んだペアでも5位となる。翌シーズンをもって現役引退。

 引退後はコーチとなりテンリー・オルブライトやフランク・キャロルらを指導する傍ら、私生活では1938年にカナダのフィギュアスケーターだったガイ・オ-ウェンと結婚。1952年に夫に先立たれるものの、マリベル・オーウェン、ローレンス・オーウェンの二女をもうけ、それぞれフィギュアスケーターとして育て上げた。

 1961年2月15日、チェコスロバキアで開かれる予定であった世界フィギュアスケート選手権のアメリカ代表チームコーチとして向かう途中、ブリュッセル上空で搭乗した飛行機が墜落し死去サベナ航空548便墜落事故)。

 この機には彼女の2人の娘であるマリベル・オーウェン(ペア代表)、ローレンス・オーウェン(女子シングル代表)も搭乗し、更にはアメリカ代表チームに選ばれた選りすぐりの選手やコーチ陣が犠牲となっている。このため、チェコスロバキア(当時)のプラハで開催予定だった1961年の世界フィギュア選手権は中止となった。

 事故から41年後の2002年に彼女は世界フィギュアスケート殿堂入りとなった。

 1961年2月15日死去(享年49)