フランク永井

フランク永井(ふらんくながい 本名:永井清人 1932年3月18日生)
 [歌手]



 1955年に『素人のど自慢』の年間ベストワンに選ばれたのを機に、同年9月に『恋人よ我に帰れ』でデビュー。1957年『有楽町で逢いましょう』がヒットとなり、スターとなる。1961年には二村定一のヒット曲『君恋し』をジャズ風にカバーし大ヒット。同年の第3回日本レコード大賞を受賞、人気を不動のものとする。

 1985年10月21日、自宅にて首吊り自殺を図る。その原因は数日後に、愛人との間の子供の認知と養育費の請求を苦によるものと報道された。夫人の発見が早かったこともあり、一命は取りとめたものの脳に障害が残り、会話が不自由となったほか、記憶が乏しくなるなどの後遺症を患った。

 一時はリハビリ治療によって看護師と冗談が言えるほど回復し、復帰も早期に行われる見込みだったが、次第に悪化。最晩年は幼児レベルの知能状態だったとも伝えられている。

 自殺未遂について遺書等はなく、永井本人がこのことについて語ることは、自殺未遂前後の記憶を喪失していたため、生涯無かった。そのため事件の真相は実際のところ不明である。また永井は酔っ払うとふざけて首を吊るマネをしていたこともあったため、一部ではそれの失敗とも言われている。なお、自殺未遂後に愛人側が認知を求めて起こした裁判の際、DNA鑑定を行うも愛人と永井との子供である確率は極めて低い(99.8%)との結果が出ている。

 2008年10月27日、東京の自宅で肺炎のため76歳で逝去した。