女優の姉を恥じて自殺

 帝劇のスターとして活躍した森律子は、最初期の女優として、また代議士を父に持つお嬢様女優として話題を集めた一方、新しき女として迫害や中傷も多く受けたとされる。女優が蔑視される風潮に抗した女性の一人だったが、それが仇となり悲劇を生むこととなった。



 森律子は跡見女学校卒業後、築地のサンマース、女子語学校専科で英語を学び、1908年に川上貞奴の帝国女優養成所に入り、帝劇女優第一期生となった。現代では考えられないことだが、当時、芸人は卑しい職業とされていたため、1916年に第一高等学校一年生だった弟・房吉の運動会を見に行った際には、「女優のような下賤な者を学内に入れるのは学校の名誉にかかわる」と学生たちから退席を求められしまったのである。それを苦にした弟は「姉が女優になるのが耐えられない」と言い残し、翌日、鉄道自殺を遂げたと言われている。