高橋優子

高橋優子(たかはしゆうこ 1950年9月15日生)
 [騎手]



 岩手県出身。騎手兼調教師である父・高橋武、繋駕速歩競走で女性騎手第1号の高橋クニのもとに生まれた。新潟県競馬の河内義昭調教師のもとで修行を積み、1968年12月1日付で騎手免許を取得して親元に戻り、1969年4月20日岩手でデビュー。デビューから非凡な才能を発揮し、1年目は19勝を挙げ、翌1970年は農林大臣賞典で重賞初制覇。また、日高賞を制覇し、この年はこれらの重賞勝ちを含むシーズン57勝を挙げリーディング5位。マスコミに注目され、第22回NHK紅白歌合戦の審査員に選ばれるなどした。

 1972年には盛岡競馬場でトチギホマレに騎乗し、1420メートルを1分29秒5で駆け抜けレコードタイムを更新した。この年にはシーズン56勝を挙げリーディング4位に入った。デビュー5年目の1973年には通算200勝を達成し、年末には同競馬場所属騎手の葛西勝幸と結婚。

 しかし翌1974年、水沢競馬場で1勝を挙げたあと、第1回盛岡競馬開催初日の前日、急性心不全のため23歳で死亡。いわくつきの急逝であり、一部情報では競馬関係者から婦女暴行を受けたとの黒い噂も存在するが、真相ははっきりしていない。

 実働5年1ヶ月にわたる生涯通算1776騎乗209勝は、女性でなくとも若手騎手として将来を嘱望されるには十分な実績であった。2006年8月、高知競馬所属の別府真衣が女性騎手として史上最年少となる18歳7ヶ月で地方競馬通算50勝を達成したが、それまでの記録を約36年間持っていたのは、1970年に19歳10ヶ月で50勝を達成した高橋優子であった。

 1974年5月17日死去(享年23)